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rexus別館

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an angel in a birdcage vol.3

an angel in a birdcage vol.3


 目の前には混沌と呼ぶにふさわしい凄惨な光景が広がっていた。
 城下町の至る所から煙があがり、街路は逃げ惑う人々で溢れ返っている。
「これは一体……」
 息を切らせながら街路に立ち止まった私は、目の前の惨状を呆然と見つめながら乾ききった唇をゆっくりと開いた。
「ジークに聞いたんだ。最近女王の様子がおかしいって。妙な魔術師を城に招きいれて……」
「妙な魔術師?」
「クレリックでもない、ウィザードでもない……それ以来女王の様子が変わったらしい。謁見の間に妙な魔法陣を描かせたり--ジェンド?」
 胸の辺りが酷くザラついて、不安とも恐怖ともつかない感覚が私を支配していた。
 その正体を探るようにゆっくりと歩き始める。そして腰に差した長身の剣を抜くと、その切先を地面につけた。
 空気の変化を悟ったのか、緊張を孕んだ周囲の視線が一気に私の方へと注がれる。
 だが私には剣を仕舞うつもりなど微塵も無かった。
「あ……ああ……」
 落とした視線の先に腰を抜かした少女がガタガタと震えている姿が目に入った。
 人ごみの中で離れたのか、両親と思しき男と女は今更ながら娘が傍にいない事に気づいたらしい。雑踏の向こうから娘の名を叫ぶ悲痛な声が聞こえてくる。
 その光景を漫然と見つめながら、私は鈍い光を纏った剣の切先をゆっくりと天に向けて振り上げていった。
 後を追うようにして剣の先へと視線を上げる。
「「ターシャ!!!!!!!!!!!」」
「ジェンド、危ない!!!!!」
 三つの声が重なった瞬間、私は勢い良く剣を振り下ろした。
「キャァァァァァ!!!!!!!!!」
 耳を劈くような甲高い叫び声が響き渡り、剣の柄を通して肉と骨を切り裂いた確かな感触が手首を伝った。
 直後に赤黒い血が飛び散り、グロテスクな肉塊が鈍い音を立てながら地面に叩きつけられる。
「……またダークエルフが人間を殺した、と?」
 既に絶命したガーゴイルを一瞥してから周囲の人間を睨み付けた。
 人々は血に塗れたダークエルフの姿をまるで腫れ物に触るかのような視線で見つめ、各々が呻きに似た声を漏らしている。
 私は舌打ちをして悪態をつくと、顔だけ後ろに向けてカイを横目で流しながら「……行くぞ」と呟いた。
 呆気に取られていたらしい彼は「ああ……」と間の抜けた声を返しながら私の傍へと駆け寄ってくる。
 そして剣を仕舞おうとした瞬間、背後から消え入りそうなか細い声が聞こえてきた。
「ありがとう……お姉ちゃん」
 反射的に足を止めたその先には、無邪気な笑みを浮かべながら私を見つめる少女の姿があった。そんな彼女の表情<カオ>を見つめながら、私は自然と強張った顔の筋肉が緩んでいたのに気づいた。
「怪我はしてないか?」
 一瞬だけ視線を地面に落として、瞬きをしながら再び彼女の方へと顔を向ける。
 眩しいほどの笑みを浮かべたまま「うんっ」と頷く少女--そんな無邪気な姿に飲み込まれてしまいそうな錯覚を抱きながら、心の芯がぼぅっと熱くなっていくのを感じていた。
 そして彼女の後ろで穏やかな笑みを浮かべるカイに視線を移すと、唇を微かに動かしてこう呟いた。 
「ありがとう……私を信じてくれて」
 この瞬間を惜しむようにゆっくりと身体を翻す。そして拳をギュッと握り締めると足早に歩き出した。
「どこまでも着いて行きますよ、俺のお姫様」
 背後から心地よい声が聞こえてきて、私は一瞬だけ目を閉じると心の中でその言葉を思い切り抱きしめた。


 城のすぐ傍までやって来た頃、アドビスの空はガーゴイルで埋め尽くされていた。
 逃げ惑う人々の間でクレリックの神官達はロッドを天に振りかざし、僅かに残された兵士達は棒切れのような粗末な剣を振り回している。
 ベテ・クルルソーに依存した結果がこれとはお粗末なものだ--そのような事を考えながら辺りをぐるりと見回してみた。
 神官の張った結界などいとも容易く破られて、彼らの薄っぺらい肉体は次々とガーゴイルの餌食になっていく。グロテスクな鋭い爪が肉に食い込む瞬間ぐしゃっという嫌な音が耳に響いて、その音を知覚したと同時に原形を失った身体が地面に崩れ落ちる。そして地面はトマトを潰したような肉塊で埋め尽くされていくのだ。
 勝機が無い事など誰もが承知していた筈だ。それなのに彼らの誰一人として逃げ出そうとする者はいない。一体彼らを突き動かしているものとは何なのだろうか--私は呆然と剣を振り回しながら、ただその事だけを考えていた。
 体中が酷い倦怠感に包まれ、自分を取り巻く時間という時間が酷くゆっくりと流れている。私が剣を振り上げるこの瞬間にも多くの命が失われ、その命の多くは救う事の出来た筈のものなのだ。彼らの無謀な勇気さえなかったら失う筈の無かった命なのだから。
 そして私の頭の中には常に一つの疑問がこびりついていた。
--私は何故人間の為に剣を振るっているのだろう、と。


「ジーク!!」
 人込みの合間をすり抜けながら声を張り上げるカイ。その視線の先には昨日話をしていた男の姿があった。
 男はオフィエル神官と思しき女と何かを話していたようだったが、彼の姿を確認するや否や手振りで女を制してこちらの方に駆け寄ってきた。
「カイ、無事だったのか。よかった……」
ほっとした表情を浮かべる男。しかし対するカイは先程よりも険しい表情<カオ>で男を睨みつける。
「魔物は城から現れてる。俺昨日言ったよな?」
「…………」
 一瞬表情が翳ったかと思うと、男は視線を地面に落としたまま黙り込んでしまった。
 しかし、依然男を睨みつけたままのカイは答えを待つように微動だにしない。
 そんな暗黙のやり取りを尻目に、私はギリッと歯を噛み締めると苛立ちを隠さずに彼の方へと詰め寄っていった。
「そんな事はどうだって良いだろうが!それより--」
 その瞬間、突如降り注いできた強風に言葉を飲み込んでしまう。あっという間に巨大な影にすっぽりと覆われて、反射的に空を見上げた私は、そこに私達の元へと飛び込んでくる一際大きなガーゴイルの姿を確認した。
「伏せろ!!」
 そう叫びながら、風に耐えかねた私は腕で顔を覆いながら身体を仰け反らせる。
 そして目の前に降り立ったガーゴイルを確認したと同時に、握り締めた長剣を空に向かって勢いよく振り上げた。
「グギャァァァ!!!!!」
 耳を劈くような咆哮と共に肉塊が地面に叩きつけられる物凄い音が鳴り響く。
 私は舞い上がる砂埃に目を覆いながら、指の隙間からしゃがみこんだ二人の姿を確認すると、まくし立てるように声を張り上げた。
「これをどうにかしないと埒があかないぞ!!まともな兵士はいないのか!?クレリックに何が出来る!?」
 私の言葉が気に触ったのか、依然地面に尻をついたままの男は、苦々しい表情を浮かべながら私を睨み付けてきた。しかし傍にいた女性は彼を抑えるようにポンポンと肩を叩いて、口元に穏やかな笑みを浮かべながらこちらに向かって歩いてくる。
「大切な人を守るのにクレリックも何も関係ないわ」
「だが無駄死にする事が解っていて何故そのような事をする?」
「無駄?何が無駄だというの?確かに何もしなければ結果は見え透いているわ。だけど何かしてみたら?ほんの僅かでも可能性があれば私達はそれに全てを託す。限りなくゼロに近かったとしてもそれはゼロではない。何もしないで後悔するくらいならこの命をかけてでも僅かな可能性に賭けてやるわ。私の愛する者達……かけがえのない仲間達の為にね。あなたにもそういう仲間がいる筈だわ。違う?」


 ひっそりと静まり返った城内に二人分の足音が木魂していた。
 背筋を凍らせるほどひんやりとした空気が肌に纏わりついて、血なまぐさい匂いが城中に漂っている。

--あなたにもそういう仲間がいる筈だわ。違う?

 先を争うように走りながら、私はその言葉の事ばかり考えていた。
 人間はダークエルフである私を罵り、常に冷たい視線を投げつけていた。
 ことあるごとにダークエルフの名を持ち出して、決して私を見ようとはしなかった。
 それなのに何故私はこのような事をしている?
 私にとって大切な人を守る為ならこんな事をせずにアドビスから逃げればいい筈だ。
 しかし私はそうせずに、敢えてここに留まり、人間達を救おうと奔走している。
 私の中で何かが変わろうとしている。
 彼の温もりに触れながら、凍りついた私の心は少しずつ解けてゆく。
 たまらない違和感を覚えながら、何とか受け入れようとする自分がいる。
 何故なら、私は知ってしまったから。
 誰かに寄りかかって生きる術を--知ってしまったのだから。


「やれやれ……まだ人間が残っていましたか」
 謁見の間に足を踏み入れた瞬間、身体を凍りつかせるような深い闇を孕んだ声が私達を出迎えた。
 王座には一人の男が、祭礼服と蝶を模した仮面を身につけて鎮座している。仮面の所為でその表情を窺い知る事は出来なかったが、こちらに向けられた金色の瞳を見た瞬間、私は思わず息を呑んでしまった。
「イールズ……オーヴァ……」
 そう、私は確かにこの男と会った事がある。シアンベルブの街でこの男の瞳に捕らえられた瞬間……それは確かに私を戦慄させたのだ。ありとあらゆる感覚がこの男を危険と察知し、そのあまりの存在感に圧倒されていた。後にも先にも……あのような恐怖を感じた事などなかった。ただこのイールズ・オーヴァを除いては--
「黒いエルフ--私の名を覚えていて下さったとは嬉しいですね。私はずっと貴女の事を探していたのですよ?」
「探していた……だと?」
「あなた方がこの国を訪れたのは偶然か? 否、偶然などありえはしない。全ては予め仕組まれた必然--」
「ふんっ……馬鹿な事を!お前が全て仕組んだと?まるで神にでもなったような言い草だな」
「神?ハハハハハ!!!!それこそ馬鹿げていますよ。神など……何れは私の足元にも及ばぬ存在になる。私は神を超えた存在になるのですからね」
「戯言を……」
「ネツアク、イエソド、イェールス、カレルア、ユリアヌス、レファスタ……現存する古代神殿は全てこのアドビスを中心にヘキサグラムを描いている。アドビスは結界の核<コア>であり、全ての力が集まる場所でもある。その力を手に入れる事で私は全てを超越した存在になるのです。神をも超えた存在にね。しかしその為には黒きエルフの血が必要だ。だから貴女はここにいる」
「残念だが私には貴様のイカれた趣味に付き合うつもりなどない!」
「結構ですよ。床に刻まれた魔方陣が貴女の血で満たされれば結界は動き出す。後は術を完成させるだけだ」
「……ふざけんな!!」
 それまで沈黙を守っていたカイが唸るようにして叫んだかと思うと、彼は盾にならんとばかりに私の前へと立ち竦んできた。背中越しに烈火のような怒りがピリピリと肌に伝わってくる。
「そんな事の為に皆を殺したのか!?女王を誑かして王までも!!」
「勘違いされては困りますね。私は彼女に手を貸してやっただけですよ?この女……ルハーツは国王を殺してこの国を我が物にしようとしていたのですからね」
「嘘だ!!」
「彼女は自らに反抗的なシオン王子を遠ざけ、ミト王女を利用して国権を手に入れようとしていた。貴方は知っている筈だ……王子が女王にどのような扱いを受けていたか。この国から逃げ出しただけでは飽き足らずに記憶までも閉ざしてしまったのですか?」
「…………」
「実質上の力は彼女に移行していた。しかし国権の象徴たる国王の存在は彼女にとって邪魔以外の何者でもなかったのでしょう。私を重用してくれたら国王を消して差し上げましょう--そう言ったらこの女はまんまと食いついてきましたよ。ねえ、ルハーツ殿?」
 嫌みったらしく鼻で笑うと、隣に立ち尽くした女性の腕を撫でるように触れてみせた。
「まさかその人は……」
「気付きませんでしたか?ルハーツ女王とミト王女ですよ。フフ……今は私の操り人形と化していますがね」
「そんな事をしてどうなる?神を超えるだと?所詮人間は人間だろうが。仮に全てを手に入れたとして、その後に何が残る?人々の畏怖の視線と引き換えにお前は独りきりになるんだぞ!?」
「おやおやおや……ダークエルフが何を言い出すかと思えば。いつからそのように感傷的になったのです?だが覚えておきなさい。いくら貴女が人間のふりをしたとしても、所詮はダークエルフに違いないのですよ。その浅黒い肌に血生臭い歴史の刻まれた、人間の忌むべきダークエルフ--」
「黙れ!!!!!!!!!!!」
 そう叫ぶや否や、彼は腰に刺した長剣をくと勢い良くイールズ・オーヴァめがけて斬りかかって行った。
「愚かな……」
 侮蔑するような笑みを浮かべながら右手を突き出すイールズ・オーヴァ。表面を波打つ水のようなもので覆われた蒼白い光球が浮かび上がり、その中心から稲妻のような光が放たれる。そして部屋中が閃光に包まれた瞬間、光球はカイに向かって勢い良く吹き飛んで行った。
「カイッ!!!!!!」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
 二人分の叫び声が空気を切り裂き、彼の身体は鈍い音と共に石造りの壁へと叩きつけられる。
 意識を失ってしまったのか、彼は壁に背をつけたまま、そのままズルズルと床の方へと倒れこんで行った。
「貴様ァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!」
 床に転がった剣を手に取った私はイールズ・オーヴァめがけて一心不乱に走っていった。しかし依然王座に座ったままの奴は私を見つめたまま口元にいやらしい笑みを浮かべたままだ。
 そして私が大きく剣を振り被ったと同時に彼は指をパチンと鳴らしてみせた。その瞬間目の前に稲妻が走り、後を追うようにして水面のように揺らめく光の壁が形作られていく。
「どうしますか?」
 彼は微かに唇を動かし、そして私の耳には届く筈の無いその声が響き渡っていたのだ。
 それを断ち切るように剣を振り下ろして結界を切り裂こうとする。
 しかし切っ先が光の壁に触れた直後、私の身体は勢い良く跳ね返されていた。
 状況を理解する暇も無く床に叩きつけられて、私はただ獣のような唸り声をあげる事しか出来ないでいた。
 一方、ようやく重い腰を上げたイールズ・オーヴァは、王座の隣に立てかけられた豪奢な剣を手にとってミトの元へと歩いて行く。
 そして彼女の手に鞘から抜いた剣を握らせると、耳元に唇を寄せた。
「ミト王女、あのダークエルフはこのアドビスを滅ぼそうとする国賊なのです」
「な……姑息な真似を!!」
 腹の底から声を絞り出しながら、剣を杖代わりにして起き上がった私は奴の顔を思い切り睨み付けた。
「あの女を殺しなさい。いいですね?あの女を殺すのです」
 静かに頷くミト。そして自らの意思で剣を握り締めた彼女は切っ先を私に向けると、ゆっくりとこちらに向かって歩き出した。
 ごくりと唾を飲み込みながら彼女との距離を保とうと後ずさりする。
 こんな小娘に負ける筈はないという確信はあったが、それでも人間に対して刃を向ける自信はなかったのだ。
「どうしました?ダークエルフともあろう者がこんな小娘相手に尻尾を巻いて逃げ出すとは……」
「うるさいっ!!」
 虚勢だと解っていながら、そう叫ばずにはいられなかったのだ。
 私達のどちらかが死ぬまで続けられる事など容易に想像出来たが、その瞬間が来るのを出来る限り遠ざけたかった。
「一つルールを決めましょうか。今後貴女が少しでも逃げるような素振りを見せたら、そこにいる男に苦痛を与える事にしましょう。少しずつ……だがどこまでもつでしょうね。今ですらかなりのダメージを負っている筈だ」
「----!!!!」
 恐る恐る後ろに振り返ると、未だ青白い顔をして地面に横たわる彼の姿が目に入ってきた。
 彼を救う為に人を殺すのか……それともこの手を汚したくないが為に彼の命を犠牲にするのか?
 その瞬間、私は肌に突き刺さるような殺気を感じて反射的に剣を振り上げた。
--ギンッ
 ミトの振り下ろした剣と私のそれが勢い良くぶつかり合う。手首に鈍い衝撃が伝わり、それは凡そか細いミトの腕から繰り出されたとは想像できないほど洗練された物だった。
 予想外の事態にひるんだ私は思わず剣を振りほどいて後ずさりしてしまう。
「ああ……言い忘れていました。彼女には戦術強化の術をかけているのです。下手に手を抜くとやられますよ?それから……」
「----!!!!」
「……ルール違反だ。私は逃げるなと言いましたね?」
 イールズ・オーヴァは口元に笑みを浮かべると再び右手を前に突き出した。
 稲妻に包まれた光の球が浮かび上がったかと思うと、それはカイめがけて勢い良く放たれる。
「うぐぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
「止めろ!!!!!!!!!!!」
 空気を切り裂くような鋭い音と共に彼の身体が激しく痙攣する。私はそれ以上彼の姿を見続ける事が出来なくて、雄叫びをあげながらミトに向かって刃を振り下ろした。
 互いの刃金が激しくぶつかり合い、金属の鋭い音が部屋中に響き渡る。
「目を覚ませ!お前はイールズ・オーヴァに操られているだけなんだ!!」
 鍔迫り合いをしながら、擦れてしまいそうなほどの大声で叫んでいた。しかしミトは私の言葉など聞こえていないと言わんばかりに虚ろな瞳のまま剣を握り締めているだけだ。
--殆ど対等か、あるいは相手の方が優れているであろう状況の中で時間が過ぎればすぎるほど私の不利は決定的だ。
 今でさえ彼女の剣を抑えるだけでかなりの体力を消耗しているのだ。彼女が私の攻撃を受け入れるほどの隙を見せる可能性など限りなくゼロに等しいし、そのチャンスを探っていくうちに私はどんどん磨耗していくだろう。だから決着をつけるのであればこれ以上時間をかけるわけにはいかなかった。
「許せ……」
 誰にも聞こえない位小さな声で呟くと、私は彼女めがけて大きく剣を振り上げた。
 その隙を彼女が見逃すわけがなかった。
 一歩だけ後ずさりして、腰を据えた彼女は私の脇腹をめがけて物凄いスピードで剣を突き立ててくる。
 肉を抉る嫌な音を知覚したのと同時に、身体の中に冷たい異物感と、そして焼け付くような痛みが走った。
「う……あ……」
 ポタポタと赤黒い血が零れ落ちて床に飲み込まれていく。
 一瞬のうちに白い魔法陣が朱に染まり、それは何時しか鮮やかな赤い光を放ちながら輝いていた。
「これが……うく……これが欲しかったんだろう!!」
 私は渾身の力を振り絞ると、腹からとめどなく溢れてくる血を手に取り、それをミトの額に押し当てた。
 その瞬間、ミトの額に触れた掌から蒼白い光が閃光のように瞬いた。後を追うようにして彼女の瞳孔がキュッと収縮して、白濁としたその瞳に光が戻っていく。
「あ……え……私…………どうして……」
 その結末を見届けるかのように、朦朧とした意識の私は堪えきれずに結果の上へと崩れ落ちていった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
 先程までの彼女からは想像もつかないような生々しい叫び声が部屋中に響き渡って、後を追うようにイールズ・オーヴァの物と思しき足音が近づいてくる。
「解呪か……成るほど。記憶を失っても身体は覚えている、と……ん?何故結界が動かない?条件は揃った筈だ!それなのに何故!?…………ハハ……ハハハハッ……成る程、そういう事か!ここまで来て……私が新たなる神になれたものを!!」
 そして意識が途切れようとした瞬間、私は確かに聞いたのだ。
 私がこの生を受けてから唯一愛した者の声を--獣のような雄叫びをあげた彼は物凄いスピードで私の方へと走ってくる。徐々に暗闇へと侵されていく意識の中で、先程聞いた肉を抉るような音が響いて、そして酷く擦れたイールズ・オーヴァの笑い声を漠然と知覚していた。
「ぐはっ……面白い……まだ私に刃向かう力が残って……ぐ……ぐふ……ぐふふふ…………だが………私は全てを断ち切ってみせる!!全てを……人間よ、次は無いと思え!!」

 頭の中で無数の足音が重なり合っていた。
 そして私が最後に感じていたのは誰かに抱かれる温もりと、そして私の名を叫ぶ彼の沈痛な声だった。
 最愛の人の声を心の中でぎゅっと抱きしめながら、私はそのまま意識を手放していった。



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